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「Wagyu」にかける日本人たちの思い

2011年1月5日 17:32
「Wagyu」にかける日本人たちの思い

 現地で人気が高まりつつあるオーストラリア産の「和牛」。赤身で硬いお肉が好まれてきた食肉文化の中で、霜降りの「和牛」を育て、その美味しさを伝える日本人の姿を矢岡亮一郎記者が取材した。

 シドニー市内の焼肉店。メニューをのぞくお客さんの視線の先には、「Wagyu」の文字が載ったページがある。そこに並んでいるメニューは、すべて「Wagyu」ブランドの肉だ。「Wagyu」を食べているお客さんに感想を聞くと、「おいしい」「とても柔らかくて、口の中でとろけるよ、最高だね」「しっとりしていて、味もほかの肉と比べて10倍いいね」と、評判は上々のようだ。実際に食べてみると、脂身がしっかりあり、口の中でとろけるようなジューシーさが印象的だ。

 オーストラリア産「Wagyu」は、赤身で硬いオージービーフに比べ、脂身が豊富で柔らかく、シドニーなど大都市のレストランでは高級食材として扱われている。肉の値段は、純粋なオージービーフの約2倍。日本の和牛と現地の品種を掛け合わせた牛が、和牛市場の約9割を占め、残りは遺伝子上100%の和牛となっている。

 シドニー市内から車で3時間の郊外に、「Wagyu」の育成に取り組む日本人がいると聞き、さっそくその牧場を訪ねてみた。観光名所ブルーマウンテンズのふもとで牧場を営む鈴木崇雄さんだ。4年前、東京ドーム約31個分という広大な敷地に家族5人で移り住んできたという。

 鈴木さんが渡豪したのは約20年前。「どこかにカウボーイに対する憧れとか、そういうものもあったりしました」と、笑顔で語る。しかし、干ばつに悩まされるなど日本とは気候条件も大きく違うオーストラリアで始めた和牛づくり。試行錯誤の日々だという。鈴木さんは、「良い物を作れば作るほど、需要も高まって牧場が大規模になっていく。でも、大規模になると品質管理が出来ない。その辺をどうバランスを取っていくかですよね」と、牧場経営のジレンマを語る。

 「Wagyu」は、牛のストレスや病気などが原因で味が大きく落ちてしまうため、厳しい品質管理が求められる。鈴木さんは、良質な肉作りの“ある秘けつ”を教えてくれた。その秘けつとは「穀物肥育」。牧草を食べさせて育てるオージービーフとは異なり、「Wagyu」は穀物飼料で育てる。鈴木さんは、「自分で計算した配合の内容というのがありまして…一応うちのWagyuは脂の質というか脂の風味というか、それを最大限引き出せるように穀物を選んで作るようにしています」と、説明してくれた。

 さらに、鈴木さんは「Wagyu」育成に取り組む思いを「日本人として、日本人が作り上げた和牛をきちんとした形でオーストラリアの人に伝えたい…というか見てもらいたい」と、語る。その思いを実現するために、鈴木さんには心強い仲間がいるという。鈴木さんは、「その方が僕の作ったお肉を、末端の消費者にまできちんとした形で紹介して下さっている」と、説明する。

 鈴木さんが“同志”と慕うのは、メルボルンの精肉店に勤める武村一夫さんだ。武村さんは一般家庭やレストランに「Wagyu」を普及させるため、地域に根付く形で自身が選び抜いた肉だけを消費者に勧めているという。赤身を好むというオーストラリアのお客さんには霜降り肉に対する抵抗はないのだろうか。そんな素朴な疑問を武村さんに投げかけてみると、「ありますね。ありますが、食べた後にはありません」と、教えてくれた。

 武村さんは、肉の配送も自ら担当している。調理方法から焼き加減に至るまで、シェフや主婦らに直接アドバイスを行うためだ。実際に、配送先でのやりとりを見せてもらった。

 店長 「今日は、『Wagyu』が何キロ入りましたか?」

 武村さん 「全部で4キロですね。しょうがを使ってもいいし、しゃぶしゃぶ・すき焼きにも適しているね」

 さりげない会話の中に、日本人ならではのキメの細かなアドバイスが光る。これこそ“目利き”武村さんの真骨頂だ。

 牛肉と言えば赤身が定番のオーストラリアの一般家庭では、まだまだ認知度が低い「Wagyu」。武村さんは、「苦労して食べて頂いて、それからじゃないと喜んでもらえないですから。食べてもらうことが先です」と、きっかけ作りの大切さを強調する。肉の良さを理解してもらった上で販売したいという武村さんは、店のショーケースに「Wagyu」をあえて置いていないという。

 この日お店を訪れたのは、「Wagyu」を食べたことがない主婦のマリリンさん。武村さんが、「これがWagyuビーフです」と、店の奥から取り出した商品を紹介する。武村さんは、このように消費者と会話を重ねながら、口に運んでもらうきっかけ作りを大切にしている。

 私たちは、初めて「Wagyu」に挑戦するマリリンさん一家を取材させてもらうことにした。自宅に帰ったマリリンさんは、武村さんのアドバイス通り、「Wagyu」をバーベキューで調理する。そして、娘のレベッカさんと、焼き上がった肉をほおばると…

 レベッカさん 「うーん、柔らかいわ」
 マリリンさん 「とても風味が良いし、味もやっぱり違うわね」

 2人とも初めての「Wagyu」に魅せられたようだ。

 「Wagyu」を紹介する武村さんにとって、お客さんからどんな感想を言われると一番うれしいのだろうか。武村さんに尋ねてみると、「やはり『おいしかったね』と言われることです。お客さんの味覚に合っていた、紹介できて良かったなと感じます」と、笑顔で語ってくれた。

 牧場を経営する鈴木さんは、「鈴木ブランドの名前の入った“のれん”を、将来、武村さんの出すお肉屋さんにかけたいですね」と、その夢を語る。オーストラリアの食肉文化に新たな1ページを開きたい…日本人の職人たちの挑戦は、まだ始まったばかりだ。