唯一、生存の教諭「答え返ってこなかった」

東日本大震災で、児童74人が犠牲となった宮城・石巻市の大川小学校で22日、遺族への説明会が開かれ、市の教育委員会は責任の一部を認め、謝罪した。また、震災当時、学校にいた教職員のうち、唯一、津波から逃れた教諭が去年6月に校長へ送っていた手紙の内容が初めて読み上げられた。
3回目となった説明会には、遺族ら65人が出席した。市教委は、児童74人が犠牲となった要因について、学校が津波の避難場所を定めておらず、市教委も指導・点検してこなかったなどと指摘して、今回初めて責任の一部を認め、遺族に謝罪した。
説明会では、震災当時、学校にいた教職員11人のうち、唯一、津波から逃れた男性教諭が去年6月に校長へ送っていた手紙の内容が初めて読み上げられた。避難をめぐる当時のやりとりについて、「教頭に、津波来ますよ、どうしますか?危なくても山へ逃げますか?と聞きました。でも、何も答えが返ってきませんでした」「山に行きましょうと強く言っていればと悔やまれて、胸が張り裂けそうです」などと震災後の心境についても記されていた。この男性教諭は体調を崩して休職している。
大川小学校では、現在も児童4人が行方不明となっている。